ネミー通信

いつもねむいかおなかへってるかのどちらか

100回記念いるか句会に行ってきました

平成31年4月27日、堀本裕樹先生主宰のいるか句会に行って来ました。
開催100回を迎えた記念句会です。
わたしにとって平成最後の句会(言ってみたかった)は、夢みたいに楽しかったです。

特別ゲストには町田康さんが来てくださいました。
町田康さんの独特な語り口の選評にはたくさん笑ったけれど、
発想の飛躍や創作そのものについて考えを深められるお言葉ばかりで、
大切なことをたくさん教えていただいたと思います。

「わからないもの」に惹かれる

きっとわたしだけではなく、たくさんの方がそうだと思うのだけれど、
振り返ってみると今までずっと「わからないもの」に心惹かれてきました。

わからないことば、わからない哲学、わからない映画、わからない小説、わからない俳句。
わからん、わからんなあ、と言いながらそれに近付こうとして、
わかっ(た気になっ)て嬉しいものもあれば、
わからないこと自体が魅力のものも、わたしにはいっぱいあります。

例えば町田康さんの作品は、読んでいてわたしには正直「わからない」ことが多くて、
ただ、わからなさの中で引きこまれていきました。

町田さんの文章を読んだときに思ったのは、
「わからない」とは簡単に言ってしまうけれど、
じゃあ普段自分が「わかっている」つもりのものって、
本当にわたしはわかっているのか。
わかる/わからないって何だろうか。
それから、わかることが受け手のゴールなのか、ということ。

(でも、もしかしたら全部噛み砕いて全て理解して「わかる」ほうが、
作品に対する態度として一番いいのかもしれない。)
(けれど分かるという道中には分けることが必ずあって、
ひとつのものとしてのそれが見えなくなったり、
広がりがなくなってしまうこともあるんじゃないかなあ)

そういうぼんやりしたことを答えも出せずに
ただぼんやりぼんやり考えていました。

「わからない」からこそおもしろい

記念句会で町田康さんがある句の選評のときに
「この句のこの部分はわからん、だからいい、だから選んだ」とおっしゃって、
堀本裕樹先生も「どこかに謎があるほうが句の魅力になるんですよ」と賛同されていて、
何だかすっきりとした正解を聞かせていただいた気分でした。

わからないから面白い!
それもひとつの面白がり方として在るんだ。
モヤモヤとしていた何かが晴れていくような心持ち。
もちろん、俳句には読者の想像を掻き立てる要素が大切だという話にも繋がりますが、
すごく大きなことを語っていただいた気がしました。

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↑会場の会議室の天井でひっそり回り続けていたミラーボール。
特選発表の瞬間にビカビカに輝くかと思いきや、ただただ静かに見守ってくれました。
うーんわからない

100回を経て大海のいるかたち

そして今日はなんと総勢80名での盛大な句会でしたが、
いるか句会の第1回は6名ほどの参加者だったそうです。
そこから100回に至るまで先生もサポートされる方々も続けて来られて、
今日の華やかな会を迎えられたのだなと思うと、
先生や黎明期から支えてこられた方々のご挨拶が胸に迫ってきました。

堀本先生、いるか句会に携わってこられた皆様、ありがとうございます。
まだ加わって一年未満のいるかの一匹ですが、
俳句に触れる機会をいただけて、
輪に加えていただけてよかったです。
明日からも俳句こつこつ続けてゆきます。